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母親対応用ダミー

今日(3月31日)、息子が新生活に向けて出発しました。

合格発表から、ほんの3週間です。初めての土地で部屋を探し、賃貸契約、入居の手続き、電気・ガス・水道の手続き、電気製品・家具の購入、実家から自分の荷物の引越し。そして、入学手続き、健康診断、生協・学生自治会・保険などの加入手続き、などなどなど。  ・・・ 大変でした。

息子にとっては、全てが初めてで、私がやってしまえば、直ぐ済むことも、ひとつひとつに時間がかかります。「大学生になったら一人暮らしをする」ことは、ずいぶん以前から決めていたようですが、いざ実際になると、かなり戸惑っていました。何しろ、自分が、いろいろな契約者となるわけで、未成年ではあるものの、それなりの社会的責任を痛感したようです。

一方、私の方は、息子のいなくなった、ガランとした部屋をみて寂し・・・・・・・ ・・・・・いえ、息子の部屋は、ちっともガランとしていません。 かなりたくさんの荷物を運びだしていたようですが、全然変わっていません。

なんと、息子は、「大切な物」は、私の目の届かないところに隠していたとのこと。それらを、新しい部屋に持っていくので、こちらの部屋は見かけ上はこれまでと変わらないのだそうです。つまり、私の見ていた息子の部屋の「物」は、息子いわく、「母親対応用のダミー」だったのだそうです!!!

やられました。ちょっと、うかつでしたね。確かに幼い漫画がならんでいるなぁ、とは思っていましたが。 ・・・ ん? 高校の教科書、参考書も残っています。これもダミーだったのでしょうか・・・・・


まあ、とにかく、無事出発しました。

「手間のかかる息子が出て行くと、ラクで清々するわよ」
という先輩諸姉の言葉が、どれほど「うそ」で「強がり」なのかよくわかりました。

さあ、私も、またいつもの生活に戻りましょう。




                               
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by math90 | 2006-03-31 17:50 | その他
「東大合格数“異変” ゆとり教育“1期生”」Sankei Webより

本日(3月19日)付けのSankei Webに
「東大の入試戦線に異変が起きている。前期日程の合格者をみると、これまで受験に強くランキング雑誌の常連だった中高一貫型の私立高校が軒並み減少し、逆に地方の公立高校が躍進した。」
という記事が配信されました。地方の公立高の地道な取り組みが、大きく評価されていました。詳細はコチラ

さて、この原因として、私としては、センター試験の易化(※)が無関係ではないと思っています。今年のセンター試験は、特に理科(物理、化学)が易化しました。物理Ⅰには、「4択のうち、計算せずに3個消える」ような問題で、確認のため計算する程度で済んだ問題もあったそうです。

東大常連の中高一貫校の中には、これまでの難度のセンター試験では、数学・理科で大きく他校に差をつけることができた高校もあるそうです。彼らは、センター試験対策よりも、より難度の高い2次試験対策を中心としていたようです。

ところが、今年のセンター試験では、特に理系志望者は、数学・理科で差がつかず、地歴・公民の勝負になった生徒もいたようです。地歴・公民の得点を数学・理科で補えると思い、センター試験の地歴・公民の対策よりも、2次試験対策を優先した生徒は、結果として、第1次選抜のボーダーラインとなり、志望校を変更したということも考えられます。

受験では、得意科目が易しいと不利に働くのが常です。

「今年は、学習内容を3割削減した新学習指導要領で学んだ生徒が初めて臨んだ『新課程元年』の入試だ。」(Sankei Webより)
新課程ゆとり教育で求められる学力とは、いったい何なのでしょうか。

センター試験が、例年並みの難度であれば、この結果はまた違うものとなっていたと思います。東大常連の中高一貫校が生徒に付けてきた学力と、大学側が選抜の対象とした学力が一致していなかった、それが、今年の「異変」の原因の一つと思います。


(※)易化とは、難化の反対語です。「易しくなった」という意味です。    
                                

 
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by math90 | 2006-03-19 15:54 | ニュース
公式

定義定理の次は「公式」です。

算数・数学の中で、「公式」と言う言葉は、はっきりとした定義がないようで、結構に曖昧に使われています。公式集なるもののなかに、定義や定理が含まれていたりもするので、それらを全て「公式」と思っている人も多いようです。この曖昧さが、定義・定理・公式の扱い方を、さらに分かりにくくしているような気がします。

私としては、公式は、定義でも定理でもなく、「計算の手間を省くためのもの」と位置づけたいと思います。

数学では、「シンプルに導く」「簡単に導く」ことが是とされ、美とされます。そして、「同様な導き方を何度も行う」ことを評価しません。そこで、同様な導き方をするときには、その結果を「公式」として利用して、重複を避けようというのが「公式」の目的です。複雑な変形に対しても、煩雑さを避けるために結果のみを「公式」として扱うこともあります。

たとえば、2次方程式の解法として、基本変形という変形を利用する解法があります。汎用性のある解法で、どのよう2次方程式でも、同じように変形でき、解くことができます。そこで、何度も同じ変形を繰り返すことを避けるために、一般化された2次方程式
e0017757_012559.jpg
を解き、その解
e0017757_0121649.jpg
を「解の公式」としています。すると、いかなる2次方程式でも、その公式の a、b、c に値を代入するだけで答えが求まるというわけです。

「公式」は、定理のようにある対象の間の関係ではなく、重複や煩雑を避けるためのものです。こうした公式は、定理のような意味付けはありません。新しい概念を理解するとき、必要となるものでもありません。単に覚えて使うものです。

つまり、公式は道具です。道具は、使いこなされてはじめてその価値があります。公式も使いこなせないと意味がありません。そのためには演習が必須となります。ただ、道具を使うこと自体を目的としないような自覚が必要でしょう。指導者の資質が問われるところであろうかと思います。

以上のように考えると、実は、小学校の算数(中学受験の算数は除く)に、「公式」は「無い」事になります。小学校の算数で公式と呼んでいるものは、全て定理か、定義と言うことになると思います。



参考 → 新しい概念を学習するとき


 
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by math90 | 2006-03-16 22:57 | 数学一般
さくら咲く

おかげさまにて、3月10日、息子が志望校に合格いたしました。大学受験ともなると、親にできることはありません。ただ、ひたすら、淡々と見守るのみ。これが、なかなかつらいものです。センター試験に始まり、2次、発表まで、胃痛、頭痛の日々が続きました。

息子の方も、2次試験以降、合格した場合にひとり暮らしする部屋探しと、後期試験の準備とを平行してしなければならす、夢を膨らませたり、気を引き締めたりと、気持ちのコントロールが結構しんどかったようです。

仕事柄、受験とは毎年かかわっているものの、やはり当事者の家族となると、全く違うものが見えてきます。塾の存在とは、受験の近くにはいるが、渦中には入っていないということをしみじみ感じました。

受験システムへの様々な批判がある中で、日本で大学教育を受けようと思えば、その渦中に飛び込まねばなりません。この現実をしっかり捉えていなければ、現在の教育を語ることはできないなぁとも、改めて思いました。

大学受験を終えて、これまでの我が家の体験も、少し書いてみようと思っています。




 
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by math90 | 2006-03-13 00:32 | その他
新しい概念を学習するとき

新しい概念を学習するときに、既知の概念から、新しい概念を、理解し、納得し、腑に落ちるまでのレベルに達することが、はたして可能でしょうか? 

私が大学で、初めて「位相幾何学」(※)なるものに出会ったとき、「コーヒーカップとドーナッツは同じもの」と言われました。「へ??」二の句が告げませんでした。新しい概念を、既知の概念で理解することは、ほとんど不可能でした。大学での数学はそのようなことの連続でした。

数学では、新しい概念を学習するとき、理解できない、納得できない、腑に落ちないのが当たり前のように思います。自分の持っている世界でないことを学ぶ場合、自分の持っている世界で理解するには、限界があるのは当然と思います。だからこそ、驚きがあり、発見があり、新鮮で楽しいのだともいえるとも思います。

では、新しい概念を学ぶときは、どうしたらよいでしょうか。

それは、まず「認める」こと、そして「触れる」ことと思います。
自分の世界に戻して考えるのではなく、その世界に行ってみることでしょう。

ここで、定義定理の登場です。

新しい概念を学ぶときは、
まず定義をそのまま受け入れる。定理を理解する。覚える。自分の手で使ってみる。とにかく、分からないままでもその世界に触れてみる。」
これが、とても重要なことと思います。

その上で、既知の概念との関係を考える、想像する、分析する。そのようにして、どんどん新しい概念を深め、広げていく。それが柔軟な数学的思考力を育てることに繋がっていくと思います。

時には、新しい概念の一部分が、既知の概念で説明できることもあるかもしれません。そして、その説明が分かりやすいと感じるかもしれません。けれども、新しい概念の世界に入らない限り、それは、新しい概念を学んでいることにはならないと思います。既知の概念で説明されることは、既知の概念でしかないと思います。


10進法にしても、割合にしても、子供達にとっては、全く新しい概念です。子供達がこれまで持っている世界に戻して考えるのではなく、新しい世界に導いていきたいと思います。そのためには、定義を受け入れ定理を理解し、覚え、何度も反復して使うことで、新しい概念にたっぷり触れていくことが、世界を広げるための、第1歩であると思っています。





(※)
位相幾何学とは、ゴムの幾何学いわれるものです。この世界では、ゴムのよう引っ張ったり、縮めたりして形を変えて、同じ形になるものを「同じもの」とみなします。。




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by math90 | 2006-03-08 16:38 | 数学一般
定理

定理とは、
   「定義や公理(※)から、導かれる真の命題」
のことです。つまり、様々な対象の間に、定義や公理からある関係が証明できたとき、その関係を「定理」と言います。

そして、証明された定理を使って、さらに複雑な関係を調べたり、概念を深めたりしていくのが、数学と言うことになるのでしょう。

たとえば、 
   「3辺の長さが等しい三角形を正三角形という」
というのは、正三角形の定義ですが、これから、
   「正三角形の3つの角はすべて等しい」
という定理が導かれます。そして、これより、
   「正三角形の1つの角は60°である」
という正三角形の性質がわかり、正三角形の概念が深められていく、というような具合です。

定理は本来、「使うもの」です。すでに証明されている定理を使う場合に、その都度、証明する必要はありません。けれども、定理を使うには、まずその定理が適用できる場面であるかどうかを確認しなければなりません。そして、適用可能かそうでないかは、その定理の証明の内容を理解していなくてはなりません。したがって、定理を使う時には、定理の証明を理解することが、大前提となります。

また、定理は、上記の例のように、定義(正三角形の辺の関係)から、定理の内容(正三角形の角の関係)が発展的に考えつくものばかりではありません。

三平方の定理(ピタゴラスの定理)のように、ある人物によって発見されたものは、その内容を、われわれが、定義から考え付けるようなものではないので、理解して覚えなければなりません。そのような定理を使って、より深い研究を進めるためには、定理の内容を覚え、すばやく、正しく使うための演習が不可欠であると思っています。


小中学校においても、定理は、内容を理解し、証明ができるようにしておく
ことと、正しく、すばやく使えるように演習することは、その双方ができて初めて、定理を学習したということになると思います。


参考 → 新しい概念を学習するとき



(※)
公理とは、「ある世界のなかで、前提とされる命題で、自明な(証明する必要のない)もの」です。たとえば、ユークリッド幾何の世界では、「平行線は交わらない」は公理です。



 
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by math90 | 2006-03-04 23:32 | 数学一般