ご来訪ありがとうございます。
by math90
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31


<   2007年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧
ゆとり世代の親として

教育行政にとって、教育とは「未来」です。たとえ、その目が、日々営まれている教育に向けられたとしても、それは、現在を変えるためではなく、未来を見据えてのためでしょう。

教師にとって、教育とは、毎日の授業であり、学校生活での活動そのものです。それは、年単位で同じ事を「繰返せる」ことができます。そして、今日の反省は明日の授業に、今年の経験は来年の活動につなげることができます。

子ども達にとって、教育とは、遠い「未来」ではなく「今」そのものです。同じ学年を「繰り返せる」ものでもありません。小学校4年生の授業なら小学校4年生にしか、中学2年生の活動なら中学2年生にしか、その瞬間にしかできない「たった一度のチャンス」です。

2002年実施の学習指導要領で、ゆとり世代は、この「たった一度のチャンス」を3割も失いました。3割は大きい数字です。彼ら自身は、まだ他の世代との交流がほとんどなく、自らが失った3割の影響を、実感できる機会はそう多くはないでしょう。

彼らは、何時、自分達の失った3割の大きさに気づくでしょうか? 社会に出るまで、気づかないかもしれません。彼らがこのまま社会に出た時、現実の社会は彼らを受け入れてくれるでしょうか? それほど甘くはないのではないでしょうか。もしも、「ゆとり世代」の下の世代が彼らを超えていったとき、彼らは、いったいどうなるのでしょうか? 親としては、心配が尽きません。


教育再生会議が発足した当初、政府の高官が、「ゆとり教育」を「ゆるみ教育」と称しました。ずいぶん、無責任で心無い発言と思いました。「ゆるみ」を推し進めたのは、紛れも無く教育行政ではありませんか? 「ゆるんだ」のは子ども達のせいではないのです。

ゆとり世代の親は、もっと怒ってもよいと思います。「怒らなければならない」のかもしれません。それが、「社会総がかりで教育再生を」を実現するために、ゆとり世代の親に与えられた責任の1つかもしれない、と最近思うようになりました。


最後に、大変共感するブログがありましたので、一部引用させていただきます。

「ゆとり教育世代は、獲得できなかった『教育内容』に対し、損害賠償請求することは可能か。」 (「秋扇巵言」より)
   
  ~中略~
ゆとり教育の時代にたまたま運悪く生まれただけで、その前の学習指導要領に規定された教育内容の3割削減を甘受しなければならなかった彼らは、「不獲得知識の損害」を文部科学省や各教委に請求できるのだろうか。
  ~中略~
損をした30パーセントの知識量をどのように見積もるか。教育を受ける権利を侵害されたゆとり教育世代は、金銭的な賠償請求ができないなら、なんらかの救済の声をあげるべきではないか。たとえば、バウチャー券を発行してもらい、生涯学習機関で個々に応じた資質能力を身につけられるように。              

[PR]
by math90 | 2007-06-10 23:53 | ゆとり教育
「ゆとり教育」再考 

多忙を理由にブログから遠ざかっている間、内閣に教育再生会議なるものが設置され、当ブログのメインテーマである「ゆとり教育」についての議論がクローズアップされています。

6月1日には、第2次報告が発表されました。→概要【PDF】

「学力向上にあらゆる手立てで取り組む」として、第1次報告で掲げた「授業時間数10%増」の具体策として、土曜授業の容認など、ゆとり教育見直しの具体策などが取りまとめられました。



ここで、教育に携わるものとして、まさに「ゆとり教育」と共に歩いてきた親の実感として、「ゆとり教育」について、改めて振り返ってみようと思います。


現在、一般的に「ゆとり教育」と言うと2002年から実施された学習指導要領の体制を指すことが多いですが、日本の教育における「ゆとり」思考は、戦後教育の「知識重視型教育」の批判を受け、実は1977年から始まっているといってもよいと思います。

1977年改訂(1980年実施)の学習指導要領では、「ゆとりと充実」とのスローガンの下、学習内容の程度が引き下げられ、授業時間は削減されました。詰め込み教育批判から「暗記」が敬遠されるようになりました。

1989年改訂(1992年実施)の学習指導要領では、「新しい学力観」として、主体的、創造的に生きる子供の育成を目指し、生徒の個性を重視することが強調されました。小学校1、2年生の理科・社会が廃止され生活科となりました。

1992年9月からは第2土曜日が、1995年4月からは第4土曜日も休業日となりました。


私の息子は1994年に、小学校入学を向かえました。まさにこの「新たしい学力観」の時代です。息子が小学生の時に、私が親として最も感じたことは、「子どもの主体性に任せる」、「個性を尊重する」ことに重点がおかれ、親や教師が「強制すること」や、誰もが「一斉に同じ事をする」という事に対して、かなり抵抗があったということです。

これまで、親や教師が教えてきたことも、子どもが主体的に「気づく」ように指導がされていたと思います。ところが、「主体性」に伴う「責任」については、あまり指導されてなかったように思います。「個性を尊重」することと、「自分勝手」をすることが混同しているのではないかと思う場面に、しばしば出くわしました。

また、この頃から、「競争」による「順位付け」が子ども達の心をゆがめるとして、通知表や運動会が様変わりしました。ある特定の分野での「順位づけ」がそのまま人間としての優劣や勝ち負けと捉えられていた風潮がありました。

「順位づけ」は才能や努力の結果であり、私は、尊重したいと思っていました。結果が異なるのは当然と思っていましたが、学校の中では、均一化が推し進められていたように思います。



娘は1998年に小学校に入学しました。そして、その年に「ゆとりの中で生きる力を育む」として、いわゆる「ゆとり教育」の学習指導要領が改訂(2002年実施)されました。

完全週5日制の実施となり、学習内容が一律3割削減されました。計算の負担の軽減とのことで、小学校の算数に電卓が導入されました。「総合的な学習の時間」も新設されました。

娘が小学生の時は、学習の内容の少なさに驚かされました。あれ、もう終り?と言う感じでした。考える学習が重要とされ、その対極として反復学習が否定されました。授業のなかで、反復学習の絶対量が減少し、学校のみで、学習内容を定着させるのは難しくなりました。

私としては、考える学習の基礎に反復学習があると、考えているので、家庭での反復学習のフォローに相当時間を費やしました。

また、パソコンが授業でも使われるようになり、情報量は増えたものの、それに反し「実体験」の機会は減ったように感じました。実際に、授業時間の削減により、息子に比較して娘の時は、サマーキャンプや校外学習などの行事も減ってしまいました。



このように、教育の中での「ゆとり」の推奨は、子どもたちの学校生活に、段階的に様々な形で反映されてきました。もちろん、その時々の社会的背景のなかで、「必要である」と判断され、良かれとのことで推し進められてきたわけです。

しかし、その「ゆとり」は、長い時間をかけて、子ども達の基礎学力の低下をもたらしただけでなく、やる気、忍耐力、知的体力(考え続ける力)を低下させ、諦めのはやい子どもにしてしまったように思います。


30年に渡る「ゆとり」の見直しは、そう簡単では無いと思います。進むべき方向を変える時にはこれまでにも増し大きなエネルギーが必要でしょう。「社会総がかりで教育再生を」を実現するために、ぜひとも協力していきたいと思います。
[PR]
by math90 | 2007-06-04 09:53 | ゆとり教育