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<はじめに>
   □ はじめまして 

<教育・子育て理念>
   □ 生徒との会話
   □ 子どもを「自立させる」とは
   □ ヘリコプター・ペアレンツ 
   □ 家庭の役割--陰山先生講演会「生きる力と学力」より
   □ エピソードⅢ
   □ 子離れ    
   □ 意識すること
   □ クローズアップ現代--「ヤギから学ぶ算数・国語」
   □ 夢をあきらめない--宇宙飛行士の野口さんから
   □ スランプ
   □ スランプ、その後
   □ 学ぶモチベーション
   □ 五つの「あ」--座右の銘です
   □ コーチング
   □ メンタルタフネス    
   □ 「やってみせ、言って聞かせ、させてみせ・・・」
   □ 時間は後ろを向いて進んでいる
   □ 説得力のある姿

<中学受験の算数>
   □ 中学受験
   □ 計算問題の進め方    
   □ 計算ミス
   □ 計算の工夫
   □ 6年生の夏期講習(1)  
   □ 6年生の夏期講習(2)
   □ 宿題の仕方
   □ テストを「どう受けるか」 
   □ テストを「どう受けるか」の例
   □ テストの点数 
   □ 中学入試、カウントダウン
   □ 灘校生のK君の中学受験
   □ 算数の苦手な中学受験生


<小学校の算数>
   □ 暗記-- 日経新聞に掲載されました   
   □ 筆算
   □ 最小公倍数の求め方
   □ 最小公倍数の求め方の例題
   □ 最小公倍数の求め方の説明
   □ 分数計算 
   □ コンパス 
   □ 立体図形の工作
   □ 特別な関係--比例について
   □ 式の計算とじゅんじょ
   □ 小数の足し算、引き算
   □ 百ます計算の使い方

<文章題>
   □ 文章題    
   □ 文章題の読解力とは 
   □ 数学的に読む
   □ 文章題の3ステップ 
   □ 線分図 
   □ 線分図の例 
   □ 低学年の文章題 
   □ 記号の言葉
   □ おすすめ教材 
   □ 文章題の基礎 ~総括~

<割合> 
   □ 割合の定義 
   □ 割合の定義と式の意味   
   □ 割合の定義と1あたりの量
   □ 割合の定理

<中学校の数学>
   □ テスト対策   
   □ 中学生と予習
   □ 「計算ミス」の言葉の怖さ
   □ 等号の使い方
   □ 多項式と方程式と関数
   □ 直角三角形の「斜辺」
   □ 正の数・負の数

<高校の数学・大学受験>
   □ 大学入試センター試験
   □ 45分間の休み時間 ~センター試験~

<数学一般>
   □ 新しい概念を学習するとき
   □ 定義  
   □ 定理
   □ 公式


<ゆとり教育関連ニュース>
   □ ゆとり世代の親として
   □ 「ゆとり教育」再考
   □ 「学力も二極化時代・・・高校数学『ゆとり』のツケ」
     --Sankei Webより
   □ 「東大合格数“異変” ゆとり教育“1期生”」
     --Sankei Webより
   □ 「センター試験 解答用紙、書式見直しへ」 --読売新聞より

<その他・日記>
   □ 京都の学習塾の事件について
   □ 御礼   
   □ 11年目によせて ~1月17日~
   □ 母親対応用ダミー
   □ 受験当日
   □ 地球深部探査船「ちきゅう」
  
   □ ロジック作品集 
   
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# by math90 | 2010-01-01 00:00 | 目次
ゆとり世代の親として

教育行政にとって、教育とは「未来」です。たとえ、その目が、日々営まれている教育に向けられたとしても、それは、現在を変えるためではなく、未来を見据えてのためでしょう。

教師にとって、教育とは、毎日の授業であり、学校生活での活動そのものです。それは、年単位で同じ事を「繰返せる」ことができます。そして、今日の反省は明日の授業に、今年の経験は来年の活動につなげることができます。

子ども達にとって、教育とは、遠い「未来」ではなく「今」そのものです。同じ学年を「繰り返せる」ものでもありません。小学校4年生の授業なら小学校4年生にしか、中学2年生の活動なら中学2年生にしか、その瞬間にしかできない「たった一度のチャンス」です。

2002年実施の学習指導要領で、ゆとり世代は、この「たった一度のチャンス」を3割も失いました。3割は大きい数字です。彼ら自身は、まだ他の世代との交流がほとんどなく、自らが失った3割の影響を、実感できる機会はそう多くはないでしょう。

彼らは、何時、自分達の失った3割の大きさに気づくでしょうか? 社会に出るまで、気づかないかもしれません。彼らがこのまま社会に出た時、現実の社会は彼らを受け入れてくれるでしょうか? それほど甘くはないのではないでしょうか。もしも、「ゆとり世代」の下の世代が彼らを超えていったとき、彼らは、いったいどうなるのでしょうか? 親としては、心配が尽きません。


教育再生会議が発足した当初、政府の高官が、「ゆとり教育」を「ゆるみ教育」と称しました。ずいぶん、無責任で心無い発言と思いました。「ゆるみ」を推し進めたのは、紛れも無く教育行政ではありませんか? 「ゆるんだ」のは子ども達のせいではないのです。

ゆとり世代の親は、もっと怒ってもよいと思います。「怒らなければならない」のかもしれません。それが、「社会総がかりで教育再生を」を実現するために、ゆとり世代の親に与えられた責任の1つかもしれない、と最近思うようになりました。


最後に、大変共感するブログがありましたので、一部引用させていただきます。

「ゆとり教育世代は、獲得できなかった『教育内容』に対し、損害賠償請求することは可能か。」 (「秋扇巵言」より)
   
  ~中略~
ゆとり教育の時代にたまたま運悪く生まれただけで、その前の学習指導要領に規定された教育内容の3割削減を甘受しなければならなかった彼らは、「不獲得知識の損害」を文部科学省や各教委に請求できるのだろうか。
  ~中略~
損をした30パーセントの知識量をどのように見積もるか。教育を受ける権利を侵害されたゆとり教育世代は、金銭的な賠償請求ができないなら、なんらかの救済の声をあげるべきではないか。たとえば、バウチャー券を発行してもらい、生涯学習機関で個々に応じた資質能力を身につけられるように。              

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# by math90 | 2007-06-10 23:53 | ゆとり教育
「ゆとり教育」再考 

多忙を理由にブログから遠ざかっている間、内閣に教育再生会議なるものが設置され、当ブログのメインテーマである「ゆとり教育」についての議論がクローズアップされています。

6月1日には、第2次報告が発表されました。→概要【PDF】

「学力向上にあらゆる手立てで取り組む」として、第1次報告で掲げた「授業時間数10%増」の具体策として、土曜授業の容認など、ゆとり教育見直しの具体策などが取りまとめられました。



ここで、教育に携わるものとして、まさに「ゆとり教育」と共に歩いてきた親の実感として、「ゆとり教育」について、改めて振り返ってみようと思います。


現在、一般的に「ゆとり教育」と言うと2002年から実施された学習指導要領の体制を指すことが多いですが、日本の教育における「ゆとり」思考は、戦後教育の「知識重視型教育」の批判を受け、実は1977年から始まっているといってもよいと思います。

1977年改訂(1980年実施)の学習指導要領では、「ゆとりと充実」とのスローガンの下、学習内容の程度が引き下げられ、授業時間は削減されました。詰め込み教育批判から「暗記」が敬遠されるようになりました。

1989年改訂(1992年実施)の学習指導要領では、「新しい学力観」として、主体的、創造的に生きる子供の育成を目指し、生徒の個性を重視することが強調されました。小学校1、2年生の理科・社会が廃止され生活科となりました。

1992年9月からは第2土曜日が、1995年4月からは第4土曜日も休業日となりました。


私の息子は1994年に、小学校入学を向かえました。まさにこの「新たしい学力観」の時代です。息子が小学生の時に、私が親として最も感じたことは、「子どもの主体性に任せる」、「個性を尊重する」ことに重点がおかれ、親や教師が「強制すること」や、誰もが「一斉に同じ事をする」という事に対して、かなり抵抗があったということです。

これまで、親や教師が教えてきたことも、子どもが主体的に「気づく」ように指導がされていたと思います。ところが、「主体性」に伴う「責任」については、あまり指導されてなかったように思います。「個性を尊重」することと、「自分勝手」をすることが混同しているのではないかと思う場面に、しばしば出くわしました。

また、この頃から、「競争」による「順位付け」が子ども達の心をゆがめるとして、通知表や運動会が様変わりしました。ある特定の分野での「順位づけ」がそのまま人間としての優劣や勝ち負けと捉えられていた風潮がありました。

「順位づけ」は才能や努力の結果であり、私は、尊重したいと思っていました。結果が異なるのは当然と思っていましたが、学校の中では、均一化が推し進められていたように思います。



娘は1998年に小学校に入学しました。そして、その年に「ゆとりの中で生きる力を育む」として、いわゆる「ゆとり教育」の学習指導要領が改訂(2002年実施)されました。

完全週5日制の実施となり、学習内容が一律3割削減されました。計算の負担の軽減とのことで、小学校の算数に電卓が導入されました。「総合的な学習の時間」も新設されました。

娘が小学生の時は、学習の内容の少なさに驚かされました。あれ、もう終り?と言う感じでした。考える学習が重要とされ、その対極として反復学習が否定されました。授業のなかで、反復学習の絶対量が減少し、学校のみで、学習内容を定着させるのは難しくなりました。

私としては、考える学習の基礎に反復学習があると、考えているので、家庭での反復学習のフォローに相当時間を費やしました。

また、パソコンが授業でも使われるようになり、情報量は増えたものの、それに反し「実体験」の機会は減ったように感じました。実際に、授業時間の削減により、息子に比較して娘の時は、サマーキャンプや校外学習などの行事も減ってしまいました。



このように、教育の中での「ゆとり」の推奨は、子どもたちの学校生活に、段階的に様々な形で反映されてきました。もちろん、その時々の社会的背景のなかで、「必要である」と判断され、良かれとのことで推し進められてきたわけです。

しかし、その「ゆとり」は、長い時間をかけて、子ども達の基礎学力の低下をもたらしただけでなく、やる気、忍耐力、知的体力(考え続ける力)を低下させ、諦めのはやい子どもにしてしまったように思います。


30年に渡る「ゆとり」の見直しは、そう簡単では無いと思います。進むべき方向を変える時にはこれまでにも増し大きなエネルギーが必要でしょう。「社会総がかりで教育再生を」を実現するために、ぜひとも協力していきたいと思います。
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# by math90 | 2007-06-04 09:53 | ゆとり教育
はしかの流行
大学生の「はしか」が流行っているそうですね。東京で一人暮らしをしている息子が若干心配です。

今年大学2年生になった息子には、18年前にMMRワクチンを接種させました。MMRワクチンは、はしか(M)、おたふく風邪(M)、風しん(R)を一度の接種で予防できるとして1989年に導入されました。

当時の育児の中では、保健所での予防接種は、なかなか大変な行事でした。子どもを足で押さえつけながら問診表を書き、順番までご機嫌よく待たせなければなりません。そろそろ順番が近づいてくると、子どもにも注射器が目にはいり大騒ぎ。そんな予防接種3回分を1回でできるというMMRワクチンは、かなり魅力的でした。

ところが、この中のおたふく風邪ワクチンに欠陥があり、導入から程なく無菌性髄膜炎の副作用の発生が相次ぎました。子どもを感染症から守るためのもので、命を落としていく様子を目の当たりに見て、私達母親は、とても不安になりました。

次第に、母親の間では、予防接種全体に対して慎重論が一般的になり、MMRの接種だけでなく、はしか単独の接種も見送る人が多かったと記憶しています。

このような背景から、今の大学生世代は、はしかの予防接種の接種率自体が低く、それが今年の流行の原因の一つになっているのではないかと思っています。

MMRワクチンは4年間で廃止されましたが、これをきっかけに、予防接種は、「強制義務」から「勧奨義務」へ、「保健所」から「かかりつけの医師」へと変わっていき、その「社会的意味」は「個人の問題」となってしまいました。

18年前、まさか、この子どもたちが大学生になってから「はしか」が大流行し、感染してしまうとは、誰も予想もしていませんでした。彼らが幼稚園時代に流行していたならば、問題にすらなかったかもしれません。

育児にも教育にも、手探りで進めなければならない事が、多々あるように思います。そして、時代の流れの中で、様々な要因と絡み合いながら、その事に対する結果は、どんどん変化していくように思います。

長い年月の後に、予期せぬ結果として現れるかもしれない事もありうるということを意識しながら、育児も教育も慎重に進めていかねばならないのですね。
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# by math90 | 2007-05-18 19:32 | ニュース
漫画教科書
久しぶりに気になるニュースが2本ありました。これらの内容について、またのちほどコメントしようと思います。


<漫画教科書:高校生向け数学2で初登場 意見付き半分削除>

 30日に公表された06年度の教科書検定で、高校生向けの数学2の教科書に本格的な「漫画教科書」が初めて登場した。しかし、ほとんどの漫画のページに検定意見が付き、出版者側は半分ほど削除することになった。「理系離れ」が指摘される中、教科書会社が試行錯誤の末に申請したが、編集者は「漫画と学習内容が結びつきにくいと判断された」と話している。
 漫画教科書は、大阪市の出版社「啓林館」が作成した。同社は数学2で3種類の教科書を制作し、漫画教科書は数学の苦手な生徒を対象にした。申請本の段階で計183ページ中のほとんどに漫画が使われていた。文部科学省も「ここまで漫画の量が多い教科書は初めてではないか」と言う。
 漫画は同級生の男女5人が1冊の教科書を拾うところから始まる。誤って教科書を破ってしまったところ、古代ギリシャの数学者アルキメデスが登場し、5人はピラミッドやヨーロッパの宮殿など異次元にタイムスリップ。宮殿にいた人物やアメリカ先住民、武士らの指導を受けながら数学の問題に挑戦し、解き方を理解すると、現代に戻って来られるストーリーだ。
 武士が登場する三角関数の章では、一定の間隔で波打つ三角関数のグラフを見て、男子生徒が「知ってるよ~、しょっちゅうやってるもん。イェーイ!」とサーフィンを始め、武士も「いぇーいでござる」とウインクしながら答えている。
 しかし、検定では「(登場人物と)学習内容との関連が不明確」との検定意見が相次ぎ、教師役と生徒のやりとりには「教師役が何を意図してこのような発言をしているのか理解しがたい」などと指摘された。
 ただ、文科省によると、教科書の中身を審査する教科用図書検定調査審議会では、学ぶきっかけとして漫画を使うという手法に肯定的な意見も出たという。文科省は「漫画を使った教科書を頭から否定するつもりはない。ただ、教科書に漫画を使う場合は学習内容に沿っていることが前提だ。この教科書は漫画だけを読んで、教科書部分を読まない可能性もある」と話す。
 一方、啓林館の編集者は「数学の苦手な生徒が思わず教科書を開きたくなるような教科書を目指し、そういった生徒が数学の世界に足を踏み入れるきっかけを作りたかった」と話している。【永井大介】   

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申請段階では「どうじゃ、わからんだろう」などとユニークな話し方をしていた教師役は修正後、すべて「です・ます」調になった=内藤絵美撮影 (毎日新聞 2007年3月30日) 




<記者の目:漫画の教科書だっていいじゃないか 永井大介>

 主に高校2年生以上が使用する06年度の教科書検定で、数学2に「漫画教科書」が申請された。漫画だけのページもあるなど、他の教科書と比べて異彩を放つ。だが、「学習内容との関連が不明確」などと多数の検定意見が付き、漫画の半分は削除された。是非はあるだろうが、あえて言いたい。漫画の教科書だっていいじゃないか、と。
 今回の検定取材で、200冊以上の教科書に目を通し、いくつもの出版社を取材した。実感したのは、進学校を意識した教科書作りが進んでいるということだ。例えば、学習指導要領を超えた内容を扱い、学力低下への懸念から02年度に導入された「発展的な学習内容」は、学力の高い生徒向けの教科書に多く盛り込まれている。
 そして、その発展的学習は記述量が大幅に増加した。ある編集者は「大学入試での出題を意識している。今後は発展的学習に何を入れるかで、教科書会社は独自の色を出せる」と説明する。
 だが、話を聞いて違和感を持たざるを得なかった。以前、池袋の街を取材した時に出会った高校生たちすべてが大学入試を希望しているわけではなかった。ダンサーやミュージシャンを目指す彼らは大学のキャンパスではなく、大きなステージに立つことを目標にしていた。
 文部科学省も「高校は多種多様であり、さまざまな生徒がいる」と認めている。人々の価値観は多様化し、今の高校生には偏差値の高い大学を入学・卒業し、一流企業に入るという高度経済成長期までの成功モデルは、机に向かう動機にならない。
 また、学力低下の問題と教科書がミスマッチを起こしているようにも思う。例えば、学力が低いとされる高校では、授業が成り立たず、教科書を終えることなく卒業することはままある。今回、こうした生徒が関心を持つと思える教科書は、申し訳ないが一冊もなかった。
 進学校でも基礎学力の低下がじわりと広がる。神奈川県内の進学校で、物理担当教諭の話に驚かされた。「ごく簡単な割り算を暗算でできない。紙に書いて計算するのはまだいい方で、携帯電話の計算機を使う生徒もいる。進学校でさえも、高校で学ぶための基礎的な学力がない生徒が入学してきている」
 検定対象の教科書は高校2年生以上を対象にしており、専門的な内容を数多く含んでいる。基礎的な学力が抜け落ちたまま高校に進学した生徒にとって、「土台」がない状況で高度な内容の授業に臨むことになる。「関心を持って聞け」ということが無理な話なのだ。
 教科書が難しくてわからない。だから勉強から遠ざかる--これでは不幸であり、せっかくの3年間がもったいないではないか。
 漫画教科書を編んだ大阪市の「啓林館」の編集者は「数学の苦手な生徒が、漫画ということで思わず教科書を開き、数学の世界に足を踏み入れるきっかけにしたかった」と狙いを説明した。教科書とは、学力の高い生徒のものでもなく、大学入試のためだけにあるものでもない。それこそ「さまざまな生徒」に、学問の面白さを気付かせるためにある。
 漫画教科書について、文科省は記者会見で「教科書を手に取った生徒が漫画だけを読み、教科書の中身を読まない可能性もある」と話した。私は漫画だけを読んだ生徒の何人かでも、数学の面白さに気付くきっかけになれば、漫画をふんだんに盛り込んだ教科書があってもいいと思う。
 高校生たちがどのような分野に進むにしても、社会に出れば、一定の知識が求められる。高校時代は関係のない分野に思える学問が、実は自分の進んだ道に密接に関係しているということもある。そういう経験をした読者も大勢おられるだろう。まずは「学問への入り口」として、教科書に関心を持ってもらうことが先決ではないだろうか。
 最近、安倍晋三首相の肝いりもあり、毎日のように「教育再生」の掛け声を聞く。「学力低下」と声高に叫ばれている。だが、学校を評価したり、教員免許を更新制度にしたとしても、多様な価値観の中で生きる21世紀の高校生たちがにわかに勉強に関心を持つとは思えない。
 学習指導要領の範囲外の記述を「発展」という形で認めるならば、教科書を開いてもらうための漫画も認めていいのではないか。さまざまな教科書の出現こそが、学力の底上げにつながる可能性を秘めていると思う。(社会部)   (毎日新聞 2007年4月3日)

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# by math90 | 2007-04-05 15:28 | ニュース